コンテンツとは常に最新のものを送り続けなければならない宿命を持つ物なのだろうか?

最近金曜日のタイミングで"例の"巨人のゴタゴタが必ず起きる
結果"がんばれ週間清武たん"と化してしまいそうな金曜日
案の定今週も新たなネタを提供してくれた清武たん
でもね
私巨人ファンじゃないから
今週はスルーの方向で
ただ メディアは怖いね・・とだけ言っておきます





さてと今週のお題
最初に前置き
今回はおたくネタにつき全くわからない方はスルー推奨で御座います
ではまずはコレを書く理由になった記事から

あの"キン肉マン"が復活するそうで
てっきり"究極超人タッグ"が終わった次は2世で王位争奪やるのかな?
と思っていた私には意外な新シリーズとなりました
あの時代のジャンプ作品の中ではかなりちゃんと終了した部類に入る"キン肉マン"
私がソレを知ったのは小学生の頃に放送されていたアニメでした
その後原作が存在し"週間少年ジャンプ"を読む頃には
原作には確かネプチューンマンが出ていた時期でしたから
リアルタイムで知ったのは連載時期としては後のほうになると思います
なので私の中で"キン肉マン"という作品は
"週間少年ジャンプ"を知る切っ掛けになった作品でした
アニメの1期(という言い方を当時はしていませんでしたが)
最終的に"超人タッグ"の後オリジナルを放送して結局原作の最終シリーズである"王位争奪編"
を見ることはありませんでした
一応後に"王位争奪編"のみをアニメ化してくれましたが
私はある"アニメオリジナルキャラ"が反吐が出るほど嫌いでしたから
まともに見ることはありませんでした・・・
一方原作の方は
王位争奪編の途中で原作者が"本当の"急病があり
半年ほど休載されていましたが
同時期の他にあった人気マンガの"打ち切りエンド"のような悲劇にあうことは無く
大団円の結末でその歴史に終止符を打つ事となったのです
ただし人気マンガの宿命なのか
以降に連載したマンガが全て不評(あくまでキン肉マンと比較してですが・・)
だったからなのか?
以降もちょくちょく"読みきり"という形で
キン肉マンの新作が発表されていました
その後掲載誌を週間プレイボーイに姿を変え
"キン肉マン二世"として復活し
途中"ウェブ連載"という形に変更しつつもつい最近まで連載が続けられてました
そして今回の"復活"
なので都合30年に渡り"キン肉マン"は存在し続けている事になります
例えば普通のファンの方なら
「すっとキン肉マンを見続けられる」
と喜ぶのかもしれません
当然私もその感情に近いものはあります
例えば"究極超人タッグ"で設定上過去の時代に遡り
全盛期の"キン肉スグル"が出たときは心ときめきましたし
ロビンマスクとテリーザキッドがタッグを組むときなどは
キン肉マンの中で結局正義超人軍のNO.2とNO.3でありながら
まともにタッグを組むことが無かったロビンマスクテリーマンのタッグが
"親子"という形でありますが再現されたときは心躍りました
なので今回の"復活キン肉マン"についても
期待する気持ちというのは全く無い訳ではありません
ただ"不安"がそれを上回るのです
昔からいわゆる"バトル"もの(漫画やアニメなど)と言われるジャンルには付きものの現象があります
それは"能力インフレ"
例えば主人公が最初に巡り合う敵は当然強い場合が多く
苦戦した挙句ようやく倒せる事が出来たとします
その後次々に現れる"強敵"当然その前に出てきた敵より強い敵が出てきます
それを毎回"苦戦"して倒している結果
主人公は"強くなりすぎる"という現象がほぼ全ての長期連載バトルもので起きてしまいます
そして例えば新たな敵が出てきてそれがあまり強くないと感じた読者は
「あれこいつ以前倒した○○より弱くない?」
と疑問に思いそれを払拭できない作品は当然のように人気が下がり打ち切りないし連載終了という結果に終わります
例えばその終了のタイミングがその作品の読者にとって最適だと考えられればその漫画は
その読者にとって"名作"と思われ
タイミングを失ったと考えられればその作品は"駄作"なり"迷作"と認知されます
私の場合週間少年ジャンプで掲載された"元祖"キン肉マン
ギリギリでタイミングを失わなかった作品として"名作"だと認知しています
つまり基本的にはこれ以上の続きを見たくないものでもあるのです
何故なら能力インフレの挙句"無理やり"続けた場合必ず行われるテコ入れが大嫌いだから
そのテコ入れとは
"主人公強制弱体化"
例えばカイオウを倒し今まででも既にやることが無くなった北斗の拳がいよいよ完全にネタつまり&能力インフレの果ての果てまで行き着いた結果
何故か主人公のケンシロウは事故により(少なくとも今までのケンシロウなら普通に回避していたはずの事故)記憶喪失となり
北斗神拳がまともに使えなくなる→本来なら楽勝の相手に苦戦する や
あまりに人気がありすぎたため原作が終了したところまでアニメをやった後で
主人公の孫梧空を"子供"にする事で"弱く"し"トラゴンボールGT"としてオリジナル展開を始めたアニメ版のドラゴンボール
少なくともこれらの"強制弱体化"によって人気が再燃した作品を私は知りません
そして今回のキン肉マンでも既に"王位争奪編"自体で"火事場のクソ力"を排除するという"強制弱体化"を行ってしまっているのです
(その事で超人タッグで評価が急落していたロビンマスクが獅子奮迅の活躍をし更に運命の王子のキン肉マンマリポーサを1対1で倒すという
まじめに考えたらとんでもない事を達成しています・・ただし私はロビンマスクも大好きなのでこの展開は大好物でした)
長期に渡って続けられる作品の中には"マンネリ"を味にし数十年に渡り評価を得る作品も存在します(こち亀やゴルゴやコナンなど)
しかし一定のストーリーで続く作品で"マンネリ"は厳禁であり読者は常に新しい展開や更に強い相手を求めてきます
(なので相手が変わるだけでやっている事は殆ど同じというマンネリバトル作品も存在しますが・・)
これが例えば私にとって"迷作"程度の評価の作品なら特に必要以上に気にする事も無く
例えばネカフェで見かけたら軽く読んで済む程度で済むのですが
少なくとも当時貴重だった"ちゃんと終わった"と認識し更に幾つもの否定要素も含みつつも最終的には大団円を迎えたキン肉マン
無理やり"復活"させて欲しくはないというのが偽らざる本音です
そして好きなだけに連載を開始されればチェックはしてしまうほど好きな作品でもあるのが・・





最近の作品は"使い捨て"にされるものが多いと思います
数年前に流行った作品も例えば"賞味期限切れ"と揶揄され
いかにも"使い捨て"がかっこいいとでも思っている発言もよくネットなどでも見かけます
"好き"とは何か?
当然人によってその言葉に込めた思いは違います
私にとっての"好き"は決して"使い捨て"するものなどではなく
ずっと楽しめる物と思えるからこそ"好き"だと言えるのではないかと思います
当然私の性格でもある"飽きない"という要素のせいでもあるかもしれません
その性格のお陰か本当に好きなものは幾ら月日が経っても楽しんでしまえます
そうなのです
私の場合キン肉マンは未だに読み続ける作品のひとつなのであり
数十回どころか数百回読んでも全く飽きが来ない"名作"なのです
そんなひとつの作品として完成している作品に
ゆでたまご先生
どうか自らドロを塗る事になる"復活"にならない事を
私は切に願います
では本日はコレにて失礼。