短期集中シリーズ 私的名馬マニアックスその1 エイシンワシントン

未だ本格的に次の長期連載シリーズの目処が立ちません
なので"短期"の形ではありますが
超一部の読者様から「見たい!」と言われていた
"私的名馬物語"を何回か連載させて頂くことにしました
題して
私的名馬マニアックス(略して馬マニ)
多分3人ぐらいしか読まない企画な気もしますが
お付き合いいただければ幸いです




私の部屋には一枚のパネルが貼られています
そのパネルは本来昔の友人がそのパネルを所有していた人から頂いた物でした
それが何の縁か今は私の部屋の一部になっています
パネルの中身はあるレースの口取り写真が入っています
口取り写真とは競馬のレースを勝った馬とその関係者がその栄光を称える為に
記念写真を撮影しそれをパネルにし関係者に配られる物です
その写真に写っている馬の名前は
エイシンワシントン
私が始めて好きになった"G1未勝利馬"です
エイシンワシントンのデビューは1993年
新馬を好タイムで勝ち2戦目に現在朝日杯フューチュリティーステークスと名を変えた
当時は朝日杯3歳ステークスに出走し2番人気の評価を受けましたが
後の3冠馬ナリタブライアンの6着に敗れました
しかしその頃のエイシンワシントンを私は全く知りません
何故なら私が"本格的に"競馬を始めたのは1995年の秋
そして実際にエイシンワシントンの名前を知ったのは更に次の年
1996年のCBC賞でした(当時は12月に行われていたスプリンターズステークスの前哨戦として11月に開催されていました)
そのCBC賞の本命にしたのが最初の出会い
理由はある程度競馬の知識がある現在では絶対にありえない理由
「1600mのマイルチャンピオンシップを3着に粘れたのだから1200mに距離が短縮されたCBC賞なら絶対に勝てるはず」
まだまだ競馬を始めたばかりの頃なので例えば何故3着に粘れたのか?
それ以前のレース情報で適正距離がどこにあるのか?
そもそもこの馬がこのレース以前に重賞を勝ったのは4歳時(旧年齢表記)
それからOP勝ちこそあったものの重賞は2年近く勝っていない
現在なら故障期間が長かった事もあり既に力落ちしている可能性を考え本命にはしていなかったかも知れません
そんな今では当たり前のように全戦績を"再チェック"する
(現在ではG1クラスの馬の競争成績はほぼ頭の中に記憶しているので)事など全くしていない
精々前2.3レースしか見ていない頃でした
ただそんな素人考えでも当たるときは当たるのが競馬の側面であり
私はそのCBC賞の馬券を当てることが出来ました
その瞬間最初から最後まで先頭を譲らなかったその勇姿を見て
「これからエイシンワシントンが走るレースは全部本命にしよう!」
と決断していました
今思えば今も続く私の"逃げ馬好き"の原点だったのかもしれませんね
その次のレースは直ぐに訪れました
年末のスプリント王決定戦"スプリンターズステークス"
勇躍そこに出走してきたエイシンワシントンを私は何の疑問を持たず本命にしました
買った馬券はエイシンワシントンから5頭ほどへ馬連の流し馬券と
エイシンワシントン単勝馬券の2種類と記憶しています




当時茅ヶ崎の方に住んでいた私は必然的に馬券を買うためには
横浜のウインズに行くか2時間半以上かけて府中に行くかの二択しかありませんでした
(当時まだパソコン&ネット環境は所持してませんでした)
なので横浜のウインズに行き現地でモニター観戦というのが主な競馬の楽しみでした
当日の昼前に家を出て横浜へ向かいウインズに到着すると平場のレースには目もくれず
馬券を握り締めてレース本番を待ちました
そしていよいよレースが始まります
勢い良く飛び出すエイシンワシントン
2番手にフラワーパーク
しかしエイシンワシントンは先頭を譲ることなく
そのまま直線へとなだれ込んでいます
直線に入っても後ろから来る馬はなく
ただ1頭フラワーパークだけが先頭のエイシンワシントン目掛けて
ジリッジリッと距離を詰めて行き
残り100mからは完全に併せ馬状態となり
その体勢のままゴールを迎えました
この瞬間に馬券を取っていたのは確定していたのですが
その時の私にとって最も重要だったのはそんな事ではなく
"エイシンワシントンが勝てたのか?"の1点でした
何故ならまだ競馬にさほど詳しくない当時の私でも
G1勝利の価値の大きさは十分理解してましたし
その日までにエイシンワシントンがまだG1レースを勝利していない事も知っていたのです
だからこそ応援の意味も込めて
さして配当も付かないと知りながら単勝馬券を購入していたのですから・・・




当時まだ競馬初心者の私が経験したことの無い
長い写真判定
ようやく終わり
掲示板の1着の所に灯った数字は・・11番
その数字はフラワーパークが付けていた馬番でした
馬券自体は当たったはずなのに心から落胆し帰宅した私に
更に追い討ちを掛ける様な出来事がその日の深夜に放送された競馬ダイジェストで解りました
その着差は・・・わずか1センチ
決勝線の写真を最大限に拡大してようやく判明した着差でした
その拡大した写真を私がちゃんと見ることが出来た機会は有馬記念が終わった次の日に発行された
"ギャロップ年鑑"
その写真を見た瞬間私は
「これ同着だろう!」
と叫びました
その叫んだ理由は今思えば印刷物の"写真"ならではの現象のせいでした
ある程度色や印刷のクセを知っている人ならばわかる現象のひとつですが
印刷物には"にじみ"というものがあります
その"にじみ"にはクセがあり
暗い色(暗色)ほど印刷がにじみ難く
明るい色(明色)ほどにじみやすい(ぼやけやすい)
通常サラブレッドの毛色は何種類か存在し
その毛色によって鼻顔に白い毛が生えている馬が存在しています
いわゆる流星と言われる物を
エイシンワシントンは持ってはなく
フラワーパークは持っていたのです
そしてそのギャロップ年鑑に掲載された決勝線の拡大写真には
フラワーパークの流星が"にじんで"本来の鼻顔よりも"広がって"写っていたからでした
そんな勘違いをするほど
気が付けば私はエイシンワシントンに入れ込んでいました
ただその後私がエイシンワシントンのレースを買うことはありませんでした
実はこのレースの後エイシンワシントンは重度の骨折を発生し
引退する事になったからです




そしてエイシンワシントンは無事に種牡馬にはなれたものの残念ながら
これといった産駒を出すことも出来ず
2009年を最後に種牡馬も引退し
現在は鹿児島県湧水町ホーストラストという所で功労馬として余生を送っているそうです
結局実際にリアルタイムでレースを見ていたのは僅か3戦
馬券を買ったのは2戦という
非常に短い時間でしたが今も私の記憶に色濃く残る馬です
そして最後にこの馬を"好きだった"からこそ起きた出来事を述べておきましょう
競馬の主役と言えるのはやはりサラブレッドですが
当然それを操る騎手も重要な存在です
エイシンワシントンで1センチ差で負けてしまった主戦騎手
勝ったフラワーパークの騎手が一部記事で「1センチは騎手の差」的な発言をしているのを目にし
そういう事を言われた騎手の心情はどうなんだろうと興味を持ち
やがてその騎手が中央競馬の騎手でも稀な
平地と障害両方でトップクラスの戦績を誇る素晴らしい騎手である事がわかり
気が付けば私の好きな騎手の1人として応援していました
その騎手はその後ステイゴールドの主戦として何度もG1レースで2着も入るも
中々勝ちきることが出来ずやがて主戦を降ろされる事になりました
それでも毎年平地障害共に一定以上の成績を上げ
2005年に14年ぶりにG1レースを勝つことが出来たのです
そしてその時期私が世話になった友人から
"エイシンワシントンが俺よりも好きだから"と言う理由で
前述のパネルをプレゼントしてもらいました
その友人は"ある騎手"の友人でもあり
パネルはその騎手である友人からプレゼントしてもらったものだそうです
その友人の騎手の名は
熊沢重文
長くステイゴールドの主戦を勤め
エイシンワシントンで1センチ差によって涙を飲んだ主戦騎手

その人が所有していたパネルだったのです。




短期集中シリーズ 私的名馬マニアックスその1 エイシンワシントン  完